2021/12/31

2021年のふり返り


 今年も相変わらずのコロナ禍だった。その対応については昨年までの安倍政権に続き菅政権にも分科会にも言いたいことは山ほどある。だけどそんな事はふり返らない。無駄なことはしない。前を向くだけだ。


今年は本当にいろいろあった。

前半、仕事関係は精神的に最悪だった。嫌で嫌で仕方がなかった。会社を辞めたいということばかり考えていた。昨年の12月に会社のトップ(CEO)が交代した。今年の最初の2ヶ月は “新CEOが各部門のパフォーマンスとプランをレビューするため” の直属上司のレポートをアシストするタスクで翻弄された。3月にその上司がレイオフになった。レポートラインが代わり、今度は自分の新しい上司へのレポートに明け暮れる日々だった。


なんとか持ち堪えて迎えた後半は、初めて経験する仕事への不安と、膨大な仕事量に潰れそうだった。それでも「今やるべき事」に集中して、地道にこなして乗りきった。12月中旬、大きなプロジェクトは全て終了して、細々としたタスクも休暇予定日までに完了して、何の積み残しも後悔も不安も心配もなく休暇をのんびりと楽しんでいる。結果として達成感と満足感を味わうことができた。今年は困難を乗り越えていくタフな精神でいるコツを得ることができたように思う。ありがたい事だ。


心がタフになってきたのは「モーニングページ」のおかげだと思う。モーニングページのきっかけは、2月上旬にアカウントを作る機会を得た音声SNSClubhouse上での出会いだ。2月の3週めからモーニングページを開始した。中断してしまう危うい日もあったが、ここまで314日、毎日書いている。「脳の排水」とも呼ばれているが、自分の言葉では「心を整える」という効果を感じている。最初の頃は、愚痴や不安や悩みなどのネガティブな事でいっぱいだった。効果や自分の進歩を実感できず焦燥感もあった。それでも続けていくうちに、前を向いて一歩踏み出すマインドに変わっていった。ポジティブで明るい気持ちに変わっていった。自分を取り巻く環境に対する感謝の気持ちが生まれてきた。そうした変化が、仕事関係に対しても良い結果を生んだのだろう。これは自分にとってかけがえのない財産だ。モーニングページを始めてから10週間ほどの期間に、自分の状態や疑問にも「素晴らしい」「すごい」と言って導いてくれた、Clubhouse上のそのRoomの主の方には本当に感謝している。


Clubhouse をきっかけに、資産運用や投資に積極的になった。いろいろな話を聴き、ネット上で情報を仕入れて学び、自分にとって良い方法を考えて行動した。証券口座を2箇所で開設しNISAを始めた。手持ちのドル資産をドル建て米国ETFで運用し、それとは別に円建てで毎月定期で投資信託を購入している。さらに航空会社のマイレージをTポイントに交換してポイント投資も始めてみた。まだ元本はたいした額ではないけれど良い成績だ。もっと何十年も前に気がついていたら良かったのにと思うけれど、それを憂うのではなく、今気がついたこと、そして始めたことをポジティブに捉えようと思っている。これもモーニングページの効能だと思う。


Clubhouseをやってみて、自分の向き不向きを改めて確認できた。本当の自分は音声のコミュニケーションが得意ではないという事。ずっと前は真逆だった。人と話すこと、人に話すことが好きなタイプだと思っていた。少し前から疑問に思い始めていた。人と話す時に緊張してしまう自分の性格。声が震える、声が上ずる、話がまとまらない… Clubhouseで頑張って話そうとすればするほど、うまく出来ない自分に落ち込み嫌になった。でも、ここでもモーニングページで救われた。人は人、自分は自分。自分に向いている事、自分が得意な事、自分が心地よい事に集中しようと考えるようになった。心が楽になった。Clubhouseはたまにのぞく程度、話さなくちゃというプレッシャーを感じなくて良い範囲で緩く付き合っている。人と同じでなくていい。無理をしない付き合い方でいい。


そのClubhouseで、モーニングページのきっかけになったのはシンガーソングライターのフジヤマミユさんだ。モーニングページという手法に加え、彼女のトークと声に救われた。そして彼女の自主制作の音源とデモ音源を聴いた。メロディと言葉の使い方に感銘を受けた。その7曲はヘビロテになった。11月には待望のブッキングのライブに出かけた。文通相手と初めて対面したような気分だった。やっぱりうまく話せなかったけど。


音楽はライブに出かける機会は減ったけれど要所を締めた感じで、コロナ禍の状況で楽しめたと思う。生配信ライブやアーカイブ配信も楽しんだ。でもやっぱり現場で接する生音の振動が最高だ。音楽は波動だ。


最後に生で鑑賞したライブを記録として残しておきたい。


2021.02.10 山崎千裕 @ 銀座Swing


2021.02.21 山﨑ユリエ YURIE BAND @ NEIGHBOR


2021.04.02 山崎千裕 @ 銀座Swing


2021.04.09 西慎嗣、小島良喜、山内薫、沼澤尚 Special GIG @ Blues Alley Japan


2021.04.10 Char @ 日比谷野外大音楽堂


2021.05.08 Absolute Blue クラウドファンディング達成記念ライブ


2021.05.12 小島良喜 スペシャル GIG DUO @ Blues Alley Japan


2021.06.05 海野あゆみ @ NEIGHBOR


2021.07.11 Live Music in HAREZA / JINO JAM @ としま区民センター


2021.07.18 山﨑ユリエ YURIE BAND @ neonera


2021.07.20 Still Crazy @ Absolute Blue


2021.07.26 原田喧太 with 小島良喜 @ クロコダイル


2021.09.25 JUJU @ さいたまスーパーアリーナ


2021.10.01 Char @ Billboard Live Tokyo


2021.11.03 MISIA @ 東京ガーデンシアター


2021.11.22 フジヤマミユ MIU FUJIYAMA @ 恵比寿 club aim


2021.12.04 山崎千裕 Good One Special Band @ 横浜 JOURNEY


2021.12.11 Char @ 日本武道館


2021.12.27 山﨑ユリエ YURIE BAND @ neonera


2020/12/30

MSX にまつわる思い出

MSX の最初の規格が発表されたのは1983年でした。
その後 20年ほど時を経て、MSX に間接的に関わる機会がありました。
2004年に限定販売が発表された チップ MSX です。
当時の勤務先の製品が採用されていて、その絡みでアスキー社とMSX愛好者による任意団体
“MSXアソシエーション共同開発チームに、勤務先が開催した顧客向けプライベートイベントで出展
していただきました。
 



2005年春には、アスキー社と MSXアソシエーションが開催した MSX WORLD 2005 というイベントで、
基調講演に登壇した西さんの持ち時間のラスト5分を頂いて宣伝のプレゼンをさせていただきました。







その年の秋の顧客向けプライベートイベントではゲスト講演枠を設けて、
西和彦氏に登壇していただきました。
講演タイトルは「オープン・ソース・ハードウェア -競争と教育の可能性-」、
個人的にも推したいと思うテーマでした。
チップ MSX にはすったもんだがあって、20055月中旬より2ヶ月間で購入予約数 5,000台を
達成したら生産・販売すると発表するも、予約数3,000台強に留まりアスキーが商品化を断念しました。
この展開は、その2ヶ月後に西和彦氏のゲスト講演を計画済みだった私にとってはちょっとした逆風でした。

その後、MSXアソシエーションがにより 
MSX2化+2スロット化されて20068月に
一般公開、12月に5,000台限定で 
D4エンタープライズから発売開始されました。
20089月に完売し、20111015日で
修理、サポートを終了したそうです。


チップ MSX  2005年の挫折のあと、有名巨大掲示板などで揶揄されたりしていました。
それも含め厳しい状況下で継続して、MSX 2 アップグレードした上でこの企画が成就されたのは、
外から見ていただけでしたが個人的に嬉しかったです。

当時、同規模のFPGA(半導体デバイス)を搭載した開発ボード製品と比べてかなり低価格だったはずです。
なぜか?
なぜ5,000台限定だったか? 
ものごとには理由があるのです。
あれは人の想い、感じ合い方、時代、環境、いろいろな事がピタッとハマった感じでした。
さて、その後は MSX はどのように展開しているのでしょうか。
私自身は特に追いかけてきた訳ではないのですが、今でもオークションやフリマのサイトで
売買されているようです。
さらに、次世代 MSX というワードも見かけました。
思うに、MSX とは西和彦氏にとっての「オープン・ソース・ハードウェア(コンピュータ)」の代名詞なのだという
気がします。



2020/12/28

反省記(著者:西和彦)の発刊を知って思ったこと

アスキー創業者の西和彦さんの著書「反省記」が9月に発刊されていました。


日本のパソコン黎明期のメジャープレイヤーの一人であるし、自分が初めて就職したソード社が自前のソード&ハードでビジネスパソコンを開発し商品化していたこともあって、当時から西さんのアプローチには興味がありました。

西さんと言えば、パソコンの統一規格 MSX と半導体事業への挑戦です。どちらも結果としては(少なくとも商業ベースでは)成功と言えませんでしたが、わくわくさせられたものです。

その辺の事が記述されていれば、その部分は読んでみたい気はします。

MSX がらみではもう少し続きがありますが、その話はまた今度…